JOURNAL

ジャーナル

Fresh Journal 1月号

2021年、最初のFresh Journalを担当させていただきます。がくです!

年を跨いでもコロナ禍の大変な状況はまだ続きそうですが、一緒に頑張りましょう!

社会人になって2年目になりますが、未だに知らない言葉を耳にすることが頻繁にあります。社会人1年目の時には上司や先輩に「初めて聞く言葉、知らない言葉はすぐに調べること」と教わりました。現在でもそれらの意味をすぐに調べて覚えるように意識しています。“言葉”というのは例えると「箱」みたいなもので、言葉の “意味”はまるで箱の「中身」のようです。そうすると、“文章”は、箱が並べられた「棚」に似ているかもしれません。

中身をよく知らないとその箱をそこに置いた意味が薄っぺらくなるし、並べた箱の中身をよく把握しておかないと「なんでこの棚にコレが置いてあるの?」と感じさせる棚になる気がします。今まで私が書かせてもらったフレッシュジャーナルの記事も、後で読み返すとそんな気持ちになるのでとても後悔しています…(比喩がわかりにくかったらすみません)

 

家で過ごすことの多い年末年始でしたが、みなさんはどう過ごされていましたか?私は家で音楽鑑賞をよくしていたのですが、音楽の世界には“韻を踏む”という文章のつくり方があります。例えば「正月」と「教卓」のような母音が同じ言葉を並べて、語感に規則性(リズム)を出すことなのですが、これは冒頭の話でいうと箱の形や色をそろえて棚に並べているようなイメージに感じます。箱の要素を重視することは芸術の世界では成り立ちますが、仕事や日常生活においては箱よりもその中身の方が重要ですよね。

今後も知らない言葉を聞いたらすぐに調べる習慣を大事にしていきます。

 

ネットが普及した現代では、「自分の文章を世に発信すること」はSNSやブログなど個人単位で見てもとても身近な行為になっていて、人々の習慣として根付きつつあります。

文章は書いた人の内面の要素を写す写真で、その瞬間の思考や価値観や知識がそのまま切り取られて残ります。人は時間とともに変化しますが、文章はその瞬間の自分を切り離したまま形を変えずに存在し続け、 今の自分との差ができていきます。切り離された「今とは違う自分」を見ると、もはや“他人”のようで、卒業アルバムに写る自分を見たときの「俺ってこんなだったんだ!」というような感情がわいてきます。いつか文章を読む人が、そんな“他人”を“自分”として認識するかもしれないと思うと非常に恐ろしく感じます。

 

それがさらに仕事の文章となると「会社としての文章」として残り、人に見られます。

私は商品のブログやこのフレッシュジャーナルなど、仕事の文章を書く機会をよく頂きますが、それらはすべて読む人から見た会社の認識を決める責任を背負っているのだ、という意識で今まで以上に真剣に取り組まなければならないなと気づきました。

このフレッシュジャーナルを私が書かせていただくのは次の3月分で最後になりますが、この責任感を強く持って書かせていただきます!

 

ここまでご覧いただきありがとうございました。次回も是非ご覧ください!