JOURNAL

ジャーナル

Fresh Journal 3月号

皆様、こんにちは。3月分のフレッシュジャーナルを担当するがくです。

このフレッシュジャーナルも今回でひとまず最終回となります。これまで見てくださった方、ありがとうございました。

私事なのですが、先月22歳の誕生日を迎えました。誕生日には母親から「おめでとう」とLINEが来ました。そして、シンドーからはエコバッグを頂きました!それ以外にも、地元や高校の友人からメッセージが届いたりしました。

とてもありがたいなと思うのと同時に、よく考えたら誕生日って“俺が生まれた日”というよりは、“母親が俺を生んでくれた日”ととらえた方が適切な気がしました。そう捉えると、自分だけがただ人から祝われるのは変なんじゃないかなと思って、母の「おめでとう」というLINEに「生んでくれてありがとう」と返しました。母は気持ち悪がっていましたが、なんだかんだ喜んでいたので良かったです。

 

さて社会では、売り上げや成果物などの“結果”で評価されます。「思い」の“結果”は、“伝わる事”かもしれないです。

入社時に「挨拶は声が大きければ大きいほどいいのだ」と上司に教えていただいたのを覚えています。“伝わる事”が結果なのであれば、挨拶の声を大きくすることは多くの人に伝わることになり、それは製造業務において製品を多く作ることと一緒なのだと気づきました。

“伝わること”において大事な要素は、「表現」だと思います。1月分のフレッシュジャーナルでも似たことを書かせていただいたのですが、現代の人々は「表現」の機会が増えているように感じます。ツイッターとかインスタとか、YouTubeとかネットレビューとか、ブログとか・・・・

社会人になると学生の時以上にいろんな方と話すことが増えていますが、この2年で感じることは、「人は意外と、他人を1面でとらえている」という事です。

多様性とよく言いますが、それを「1面単色の様々なモノが存在すること」という認識をしている人が多いなぁと感じます。本当はそうではなくて、「多面多色の様々なモノが存在する」のではないかと思います。人は誰しもがいろいろな視点を持っているし、いろいろな面を持っています。ルービックキューブみたいなものがたくさん並んでいる中で、人は見えている1面だけ見て「この人はこういう色だから~」と決めます。

でもそれは変えられない事実のような気がします。他人の見えないところなんてわかるわけがないし、見えている部分だけで判断するしかありません。なので、見えている部分がその人のすべてだと思ってしまいます。

そんな世の中だからこそ、「表現」は慎重に行うべきです。他人が自分の事を1面でしかとらえないという事は、「1つの表現(視点)を選択する事は、それ以外の表現(視点)を捨てることと同じ」なんじゃないかなと思います。(だから現代は、ふわふわした表現というか、より多くの人に考えさせるようなミニマルな表現が評価される傾向にあるかも、と思います。)

仕事における意見の発信や、休憩中のコミュニケーション。SNSや友人との会話など・・・日常の「表現」のすべてにびくびくしてまともにできなくなってしまいます。自分にあるいくつかの面を捨てるのが怖いのです。

でも先に話した通り、思いの結果は“伝わる事”で、それは表現しなければ伴わないものです。おびえて何もしなければ結果が出せなくなり、評価されることはありません。経験することで徐々に上手になっていかなければならないなと痛感します。

同じようなコトで悩んでいる人がいるかもしれませんが、一緒に少しずつ、成長していけるよう努力しましょう!

 

話は変わり・・・業務についてですが、私は最近では商品の箱に貼るシールや取扱説明書など、人に伝えるためのものを作らせていただくことが多くなっています。この機会に、フレッシュジャーナルのロゴも作ってみました。かなりダサくなりましたがここだけで公表してみます。

これは、「多面性」とか「多様性」を表現したかったのですが、それ以外にも1つ仕掛けがあります。この間YouTubeでたまたま知ったのですが、世の中には色々な色覚を持った人が存在するようで、上の画像は日本人の90%以上を占めるC型色覚の人が見たものです。そのほかには例えば、

P型色覚の方には同じ画像もこんな風に見えるそうです(この画像はC型色覚の方に伝わるように作っています)。これを作るときに意識したことは「誰が見てもできるだけ文字が視認しやすく、見る人によって印象ががらりと変わる」という事です(これの場合、言語の違いは考えていません)。それはまさに、「多様性の確立」をめちゃくちゃ縮小した状態ともいえます。

これまでの文脈から何が言いたいのかというと、“色”というたった一つの要素を取ってみても受け取る人によっては伝えたいものが伝わらない場合があるということで、伝える側の人はそんな人たちの事も最初から認識しておくべきなのだなと思います。

社会へより広く貢献するためにも、勉強することや調査すること、日常においてアンテナを張り巡らせることはとても重要なことだなぁと改めて感じています。

文章にしても画にしても音にしても、「伝える」という行為はすごく難しいし、逆にそれが作るときや受けるときの楽しさにつながっているのだと気づきました!

 

あと最後に言いますが、私はこんなことばかり考えている人ではありません!(このフレッシュジャーナルも私の“たった1面”です。)

ここまで見てくださった方、ありがとうございました!フレッシュジャーナルは今回でひとまず最終回ですが、また再開することがありましたら、よろしくお願いします!